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1873年 (明治6年)
「日光金谷ホテル」の創業者 金谷善一郎がひとりの外国人(ヘボン式ローマ字の発案者ヘボン博士)とのふれあいから、自宅の一部を外国人に提供し、「カッテージ・イン」と名付け外国人向け宿泊施設を始めたのが金谷家ホテル業の歴史のスタートであり、日本におけるホテルの起源のひとつとなった。
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1878年 (明治11年)
カッテイジ・インにイザベラ・バード女史が宿泊、著書「日本奥地紀行」に記録を残す
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1879年 (明治12年)
金谷善一郎に長男眞一が誕生
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1882年 (明治15年)
金谷善一郎に次男正造が誕生
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1888年 (明治21年)
金谷善一郎に長女多満が誕生
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1893年 (明治26年)
本館2階建て30室の日光金谷ホテルを開業。現在の日本ホテル協会につながるホテル懇親会の第1回会合を開催
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1904年 (明治37年)
日光金谷ホテルに新館を建設。ボールルーム及び客室を増設する
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1905年 (明治38年)
日光金谷ホテルに建築家フランク・ロイド・ライト氏が滞在
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1909年 (明治42年)
日本ホテル協会を28施設により結成
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1910年 (明治43年)
8月22日 金谷多満に長男鮮治が誕生
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1914年 (大正3年)
金谷眞一が宿泊客の送迎用にフォード車を14台購入。これを機に自動車会社を設立し、日光の交通を大きく変えた
箱根富士屋ホテルの山口家に婿入りした金谷正造が同ホテルの取締役に就任する(1943年には社長に就任)
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1922年 (大正11年)
日光金谷ホテルにアインシュタイン博士が滞在
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1927年 (昭和2年)
浅草から日光までの東武鉄道開通に伴い、延べ23,000坪という壮大な規模の旅館計画がスタート
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1928年 (昭和3年)
金谷ホテル株式会社を同族により設立、金谷眞一が社長に就任
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1931年 (昭和6年)
日光金谷ホテルの鬼怒川温泉支店として鬼怒川温泉ホテルを開業、金谷多満の夫である正生が初代館主に就任
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1937年 (昭和11年)
日光金谷ホテルにヘレン・ケラー女史が滞在
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1938年 (昭和13年)
鬼怒川温泉ホテルが火災により焼失する
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1940年 (昭和15年)
鬼怒川温泉ホテルを自費で再建する
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1942年 (昭和17年)
金谷鮮治の長男に輝雄が誕生
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1953年 (昭和28年)
金谷ホテル株式会社から分離して鬼怒川温泉ホテル株式会社を設立し、金谷鮮治が社長に就任
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1957年 (昭和32年)
火災により鬼怒川温泉ホテルを焼失するが、翌年には再建
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1960年 (昭和35年)
金谷鮮治ホテルニュージャパン設立に際し、同ホテル常務として携わる
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1967年 (昭和42年)
鬼怒川温泉ホテル株式会社が東京周辺の事業拡張のため本社を東京に移転
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1969年 (昭和44年)
鬼怒川温泉ホテル株式会社から金谷ホテル観光株式会社に社名変更
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1971年 (昭和46年)
同年4月に竣工した六本木10階建て本社ビル「金谷マンション」内にレストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」オープン
初代シェフに坂井宏行氏が就任
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1973年 (昭和48年)
金谷輝雄の長男に譲児が誕生
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1976年 (昭和51年)
本社ビル内に、英国酒場「ジョンカナヤ」オープン
金谷輝雄が金谷ホテル観光株式会社の社長に就任
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1978年 (昭和53年)
鬼怒川金谷ホテル開業
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1981年 (昭和56年)
これより10年の歳月を掛け鬼怒川温泉ホテルの全面改装に着手する
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1989年 (平成元年)
鬼怒川金谷ホテルに古代檜風呂を新設
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1991年 (平成3年)
鬼怒川温泉ホテルを改修、女性大浴場及び露天風呂、全天候型室内温水プールを新設
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2002年 (平成14年)
本社ビル「金谷マンション」を売却
「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」 多くのセレブリティに惜しまれつつ閉店
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2005年 (平成17年)
鬼怒川金谷ホテルが「日本旅館のファーストクラス」をコンセプトにリニューアル、クラブフロアを新設
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2010年 (平成22年)
鬼怒川温泉ホテルが「人と人をつなぐ旅〜結旅」をテーマに2期の工事を経てリニューアル
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2011年 (平成23年)
金谷譲児が金谷ホテル観光株式会社の社長に就任
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2012年 (平成24年)
4月17日 約2ヶ月間に渡る大規模リニューアルを実施
“ジョンカナヤが愛した「渓谷の別荘」”をテーマに、新生「鬼怒川金谷ホテル」が誕生
同日 ショコラトリー「JOHN KANAYA」がブランドデビュー、館内1階に1号店をオープン
5月22日 東京スカイツリー開業に合わせ、ソラマチ2階に2号店をオープン