鬼怒川金谷ホテルの休日

第三回

秋香る日

書家

北村 宗介

ウェルカムドリンク

鬼怒川金谷ホテル。晩秋の紅葉、鬼怒川からの響、そして上空には突き抜けた広い空–そのトライアングルの重心に凛とした佇まいで建っている。チェックインまでの時間、フロントに荷物を預けて外出した。小径は色づき、眼下には山肌にしがみつく岩盤と鬼怒川。数枚の水彩画を描く、どんぐり三個はポケットに入れホテルに戻った。

チェックイン後、部屋に案内される前にロビーで「煎茶」を美味しくいただいた。外気で冷えた体が、一杯の心遣いで蘇っていく。壁面や置物にはトータルとしての装いが施されていた。書作品も二点飾ってある。入口の二文字作品「創造」は荒々しい左右の払いが鬼怒川の怒涛と言葉のエナジーを表現しているのか。奥にある「金谷」二文字は篠田桃紅氏の作品。高所落筆、細身で芯がある線は今を呼吸している。

古代檜の湯

どんぐり

案内された部屋はグレードアップ和室、露天風呂付き。一人で宿泊するのには贅沢な空間だ。広い窓から望む川沿いにつづく山並みは絶景。絵本のページをめくって、ひとっ飛びでワクワクする世界に降り立った気分だ。夕食前に温泉のお湯をいただくことにする。「古代檜の湯」。檜の香りに満ちた浴室は居ながらにしてこれぞ森林浴。芯からゆっくり温まると心まで豊かになるから不思議だ。

ダイニングでの夕食は金谷流懐石「霜月の宴」。ジョン・カナヤ直伝の食の物語が始まる。木戸で仕切られた個室に通される前に柚子酒とズッキーニとベーコンのキッシュをいただく。それは、硯に水差しで数滴落とし墨の香をたてる書の所作に似ている。金谷玉子、秋野菜の白和えなど前菜に始まり、菊の花の海に浮かぶ毛蟹の吸い物、御造り、秋香る甘鯛の真丈と松茸の温物、日光湯波と栃木地野菜の蓋物、金谷和風ビーフシチュー、食事、最後に水菓子。旬の地元産食材にじっくり向き合い、シェフのひと手間で引き出された味の数々を堪能した。ここには歴史と伝統に裏づけされた矜持と「今日」から「明日」へとつづくおもいと創意工夫がある。懐石はもちろんホテルを支えている方々の胸懐も同時に食した。からだの細胞ひとつひとつが喜ぶ。食の物語は絶対ハッピーエンドに限る。

鬼怒川の紅葉

翌朝、早めに起床。もうひとつの大浴場「四季の湯」に入る。ゆずと生姜の竹籠が浮くお湯は柔らかく、目覚めの身体を優しく開放してくれた。部屋に戻り、荷物をまとめ指定の時間に朝食の席につく。皿それぞれに金谷流「一食一会」が生きている。まんべんなく箸をのばし、艷やかな日光滋養米こしひかりとおいしく大切に味わう。

ラウンジでチェックアウト。帰路歩きながら通常モードにスイッチを切り替えた。

篠田桃紅の書

北村 宗介

北村 宗介

書家、篆刻家。一九五八年静岡県生まれ。北海道大学卒業。上京後、書詩家木村三山に師事。師の没後は無所属。個展、グループ展のほか、都内近郊で書の指導、書法ライブを展開中。また宮部みゆき著「三鬼」山本兼一著「利休にたずねよ」(直木賞)川越宗一著「天地に燦たり」ほか題字多数。

『鬼怒川金谷ホテルの休日』とは‥‥
作家やアーティストをはじめ、鬼怒川金谷ホテルを愛好してやまない、注目のクリエーターが綴る滞在記です。