issue 26
日光東照宮に近い、冷涼な杉森の中に明治、大正、昭和の皇族が愛した旧御静養所、現在の「日光田母沢御用邸記念公園」があります。
夏の思い出に、美と歴史に彩られた日光の文化遺産を訪ねてみませんか?
日光旅行といえば、日光東照宮、いろは坂、華厳の滝などの観光名所がすぐさま思い浮かぶことでしょう。日光田母沢御用邸記念公園は知る人ぞ知る名勝として、多くの来訪者に好評を博している歴史観光スポットです。
日光二荒山神社を過ぎて、国道120号を北西へ進むと、神々しい木立に密むように建つ壮麗な木造建築とその庭園が、日光田母沢御用邸記念公園です。
平成15年(2003年)に国指定重要文化財に、平成19年(2007年)には日本の歴史公園100選に定められた旧日光田母沢御用邸は一部分が三階建て、建築規模1360坪、庭園を含む敷地面積1200坪という広さ。特筆すべきは、この旧御用邸が、江戸、明治、大正の日本建築と和庭園の隠れた名建築であり、歴史、建築技術、庭園の愛好家にはぜひ見学していただきたい日光の文化施設でもあります。
日光田母沢御用邸は明治32年(1899年)に明治天皇が皇太子嘉仁親王のご静養のために造営され、三代に渡る天皇が利用しました。建物は、明治の日光の資産家小林年保の別荘に、元紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、大正天皇が即位後に大きく増築し、現在の姿になりました。江戸、明治、大正の華麗な建築美と技術の精髄を結集した、近代建築の傑作となったのです。細部においては建具、錺金物、ガラス、杉戸絵や漆塗り、和紙張付壁などの文化的価値も高く、現代の名工の匠の技により平成時代に復元されています。
それらは、桜や紅葉の景色を切り取る丸窓や壁一面に梅の水墨画が描かれる「御学問所」(江戸)、檜の猿頬天井に吊る洋燈と重厚なビリヤードテーブルが配された「御玉突所」(大正)、豪華な書院造りの空間にシャンデリア、絨毯、玉杢の違い棚が麗しく混交する「謁見所」(大正)など邸内の随所に見られます。
現在、一般公開されている邸内を歩くと、私達が普段知ることのできない、ご静養中の天皇皇后の暮らしを感じることができます。
この御用邸には106室ものお部屋があります。天皇・皇后がお使いになる南側「奥向き」が23室、「臣下向き」が83室、天皇の滞在には100名を超える臣下が随行したと言われ、そのための広大な邸宅でした。
見学は大寺社の式台玄関を思わせる「御車寄」に始まり、侍従などと玉突きを興じられた「御玉突所」をはじめ、皇族や内閣総理大臣などの政府高官とお会いし、一般政務や第一次世界大戦時の戦況報告等を受けられた、「謁見所」「次の間」があり、ご静養中とはいえ多忙な公務を伺わせます。対照的に「御食堂」や「御湯殿」は天皇の生活風景をよく伝え、「御日拝所」や「剱璽の間」からは、皇室の文化に思いを馳せることができます。
邸内の廊下を歩いていると、所々の硝子ごしに凛とそびえる杉木立、美しい純和風庭園や中坪(中庭)が眺められます。大正天皇や貞明皇后もこの景色をご覧になって、御心を癒されていたことでしょう。当時の人々に思いを馳せる、貴重かつ美麗な歴史公園です。
明治時代の栃木を代表する資産家、小林年保が日光田母沢御用邸と関わりを持ったのは、なぜでしょうか。
嘉永元年(1848年)現在の栃木県日光市花石町に生まれ育った小林年保は、日光奉行所役人から明治維新後に徳川慶喜公と謁見、徳川家執事となりました。経営と管財に長けた年保はその能力をかわれ、静岡第三十五国立銀行頭取となり、さらに小林銀行を含む三銀行を創立する程の成功を収めていました。
明治6年(1873年)、大谷川を挟んだ神橋の向かいの土地に、外国人向けのゲストハウス「金谷カテッジイン」を創業しようとしていた金谷善一郎に、年保は多額の融資をしています。善一郎と共に寺子屋に通った年保は、友の頼みを快く引き受け、日光金谷ホテル開業に一役買ったのです。
しかし、商運に恵まれた年保でしたが、持病の肺病が悪化し、明治28年(1895年)6月に48歳の若さで早逝してしまいます。
年保が没した翌年、明治29年(1896年)の夏に、当時は皇太子だった嘉仁親王が日光でご静養されました。夏涼しい日光は皇太子のお体に合ったようで健康を取り戻されました。
そこで、皇太子の夏の避暑地として、東照宮にも近い、閑静にして風光明媚な「田母澤」の地に日光田母沢御用邸をつくられました。
ところが、年保の母の生地でもあった田母沢の山林原野には、既に七千坪の小林家「別荘庭園田母沢園」がありました。この小林家別邸と庭園を気に入られた皇太子は田母沢園を買い上げ、自ら指揮して増改築を施し、日光田母沢御用邸を新築したのでした。
昭和22年(1947年)、太平洋戦争後の新憲法施行により、御用邸は国の所有に移されました。7年後には、日光国立公園株式会社がこの旧御用邸を博物館及び宿泊施設として借り受けます。それから、時は流れて42年後の平成8年(1996年)、「日光田母沢御用邸記念公園(仮称)整備検討委員会」が設置され、大々的な改修を経て、平成12年(2000年)に現在の姿で一般公開されました。
日光田母沢御用邸記念公園は、邸宅・庭園共にほぼ完全な姿のまま現存し一般公開されている、唯一の旧御用邸でもあります。また、その建築美と学術的価値、伝統工芸的価値は、他の御用邸と比べても類を見ないものです。
民間宿泊施設として使用されていた期間も長く、小中学校の修学旅行等の宿としても活用されていたそうです。今は重要文化財となった邸内の廊下の柱や長押には、当時の児童、生徒、教師が知らずにつけた"思い出の跡"が残っています。来館者の中には往時を懐しんで足を運ぶ方もいるとか。避暑のために造営された邸内には暖房がなく、晩秋から初冬の寒さは厳しいものでした。
その旧御用邸の冬を唯一人、経験されたのが今代の上皇陛下です。太平洋戦争末期に学習院初等科のご学友らと共に疎開し、昭和19年(1944年)7月から旧御用邸で一年間を過ごされたとか。令和6年(2024年)5月28日、上皇上皇后両陛下は日光田母沢御用邸記念公園をご訪問されました。上皇陛下はそこでどんな懐旧に耽り、思い出を語られたのでしょうか。
明治、大正、昭和の三つの時代を経ながら、皇族のみならず多くの人々が関わり縁を結んだ、日光田母沢御用邸記念公園。その近代和風建築の精華と時の息吹にふれる旅に、ぜひ、お出かけください。
(取材協力 日光田母沢御用邸記念公園、公益財団法人栃木県民公園福祉協会)
2025年5月掲載
所在地: 〒321-1434 栃木県日光市本町8-27
当館より車で約35分※カーナビゲーションをお使いのお客様は、施設名称もしくは電話番号で検索して頂けますようお願いいたします。
営業時間:
4月~10月 9:00~17:00(最終受付16:00)
11月~3月 9:00~16:30(最終受付15:45)※茶寮は11:00~15:00まで(12月~3月は休業)
電話: 0288-53-6767
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