連載エッセイ たびに遊ぶ心

2020 summer

花と遊ぶ

水と遊ぶ

詩人

石田瑞穂

酒好き、蕎麦好きは、しぜんと水を好むようになるというが、ぼくも、一杯のうまい水を飲むためだけに、旅にでることがある。

ボストンバッグに衣服とウィスキーの小瓶をつめれば、どこへでもでかけてしまうぼくだが、なにはなくとも、見目も味も麗しい水の湧く土地なら、旅気分は上々なのだ。それもこれも、酒精詩人、田村隆一の詩作品「水」のこんなフレーズを読んだからだと思う。

神奈川県の大山のふもとで
 水を飲んだら

匂いがあって味があって
 音まできこえる

大山の水からは名豆腐ができる。ワインの銘醸地、ボルドーにいったときも、シャトー・ラ・トゥールの井戸水を口にふくんだだけで、あの星光のように冴えたアロマと極上の酔い心地が味わえた。

いい水のある土地は、酒も温泉もいい。魚、米、野菜もうまい。

水のよくない土地は、言葉どおり水があわなくて、旅のこころもみたされないのだ。そういえば、ある夏。虹見の滝の瀞に笊豆腐が浸けてあるのをみかけて、思わず、店の暖簾をくぐった。大山もいいが、日光湯波で有名な栃木の豆腐は絶品である。萌黄の楓がそえられて、よく冷え、舌のうえでとろける豆腐を口にした妻は、「渓流のきれいな水を食べているみたい」と、感動したのだった。

鬼怒川の水は、どんな宇宙の音をきかせてくれるだろう。

石田 瑞穂

石田 瑞穂

詩人。代表詩集に『まどろみの島』(第63回H氏賞受賞)、『耳の笹舟』(第54回藤村記念歴程賞受賞)、新刊詩集に『Asian Dream』がある。左右社WEBで紀行文「詩への旅」を連載中。

「旅に遊ぶ心」は、旅を通じて日本の四季を感じ、旅を愉しむ大人の遊び心あるエッセイです。

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